この線路を降りたら赤に青に黄に願いは放たれるのか?

多幸感あふれるクリスマスから流れこむ年末年始の日々はまるでお祭りの様な雰囲気に包まれていて、単純なボクは思わずワクワクしてしまう。そして何より高校生の時に観たカウントダウンライブのDVDの中で、矢井田瞳がまるで何かの大会で優勝したスポーツマンの様に大はしゃぎしている様子を見てから年末年始が大好きなのだ。日にちの区切りなんて所詮人間が勝手に決めた事だし、何故おめでたいのか、と問うてみた所で、どうせ宗教的な意味合いがうんぬんあるだけで大した根拠なんて無いのだろう。でも根拠なんか無くとも全力でニューイヤーをおめでたがっている彼女の姿は美しく、今でも鮮明に思い浮かべる事が出来る(思い浮かべられなくてもDVDで観れるのだけど)。根拠なんかなくともそれぞれが価値を見いだせれば何でも充分に楽しむ事が出来るのです。あらゆる行事に対して「◯◯は企業戦略に過ぎない」「リア充(例として挙げるだけでゾッとする言葉ですね)爆発しろ」と斜に構えるのは簡単だけど、勝手に意味を見出してしまうのが幸福だ。そのきっかけを与えてくれる行事をボクは愛している。

ボクは行事ごとだけで無く、積極的に楽しんだり、何事も自分なりの意味を見出したりする事は生きる上で一番大事だと思う。単純に人生における楽しみの総量を増やしたり感受性が豊かであり続けたりする為にも大事だけど、そもそも自力で何にも意味を見出だせない事はとても不幸な事だからだ。彼は君じゃないのだから誰かが見出した意味に対して完璧な美しさ感じる事は出来ない(でも、誰かがある意味を見出した事実に対しては美しさを見出す事は出来ると思います)。また他人の生み出した価値観の上で生きていくことには実感が伴わないので、分かりやすく世間的に勝者であるように他人から思われていた所で何故だか虚しくなってしまう。ボクは彼らのそういった末路をこの目で沢山見てきた。

そもそも世の中に蔓延している価値観なんて多くの人にとって他人がその価値観の上で生きていってくれる方が都合良いという物に過ぎず、はっきり言って社会全体の利益にはなるけど個人の利益にはあまりならない。それでもほとんどの人がこの世・この国に蔓延している価値観の上で生きていくのは共感によって労力をかけずに安心を買いたいからだろう(僕も誰かの意見に共感にして喜びを感じる事があるのだけどそれは姿勢に対する共感が存在する上でこそ意味がある事で、安心を買うというより勝手に美しさを見出しているだけに思う)。生活する上である程度社会の規範や仕組みに則る事は仕方のない事なのかも知れない。でもその中できちんと自分なりの意味を見出す事が出来ないと実感を得る事が出来ず、いつまでたっても満たされないままだ。

そして満たされていない人間はその穴を埋める為、他人を利用する事に必死になってしまう。その状態に陥った人間ほど醜く、ボクを苦しめる物はこの世に存在しない。彼らはあたかも何もかも自分の手で選び取れている様に思っているけど、自分の価値観の上で何かに美しさを見出す余裕が存在しない人間なんて自分の都合の良い形にすべてを押し込める事に精一杯になることしか出来ない。
まず世の中の美しさは自分の都合とは無関係に存在する物だから、自分の都合が前提になっている時点で何か選びとっている気になっているのが間違いだ。その証拠に彼らは都合が良い状態にある時は手に取った物を絶賛するのだけど、都合が悪くなった途端に親の敵の様に無茶苦茶に罵倒する傾向にある。自分が良いと思ってきちんと選びとっている物なのであれば、どの様な状態にあっても その見出した良さは消えようが無い。つまり彼らが感じていた“良さ”とは、ただの“都合の良さ”であってその物の本質とは一切無関係であったという事だ。

そんな状態にある彼らの優しさに似た振る舞いなんて所詮ペットに餌を与えて飼い慣らしているのとほとんど変わらない物に思える。もしそれがお互いにとって都合が良かったとしても人間は動物じゃないのだから、他人の都合に合わせて正確に振る舞い続ける事なんて不可能だし、もっと都合の良い物があれば今まで身近にいた人なんてどうでもよくなるに決まっている。そして彼らには余裕も判断力も無く、有り難みも哀しみも反芻する能力なんて存在しないのだから何度でも同じ様に都合の良さを求めていく。それでいて彼ら自身も永久に実感を得られないのだから、まるで地獄じゃないか。絶対に彼らに利用されたり傷つけられたりしてはならないし、愛も優しさも実感もない彼らの様になってはいけない。さながらバイオウイルスの様に年を取る度にこういう人間の価値観(そもそも彼らの価値観ではないのだけど)は広がり増えていく。その様子を見てボクは本気で哀しくなってしまう事がある。それを彼らは、大人になって素直になった、などと口を揃えて言うのだけれど、ボクには精神的に自立していなくて自分の都合の良い様に振る舞う彼らの方が圧倒的に精神的に未熟であるように感じる。ボクの言う事はもしかしたらその辺の幼い子どもが言う様な、それこそ都合の良い考えに聞こえてしまうのかも知れないけど、世の中の厳しさも人間の汚さも自立する苦しさも全部理解した上で強い意志を持って自分の力で生きたいと思います。

愛しい人たちに対して正しい愛を持つ為、間違った優しさを他人にぶつけない為、自分の意思で好きな物を選びとる為、世の中がどんな地獄になってしまったとしてもすべての物事に丁寧に自分なりの意味を見出して楽しく生き続けよう。


何より、その中で見る事が出来る美しさはまさに生きる喜びと言っても過言ではないものだから。